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新宿の夜、私が拾ったもの

甘味

 残業を終えた帰り道、やたらと明るい月を見上げ、すっかり遅くなってしまったことにため息をつく。

 

(今日はあの子いるかな……)

 

 最近マンションの入口に現れるようになった黒猫。人懐っこくて、すぐに私に懐いてくれたその子は日々の仕事疲れを忘れる癒しだった。自分の夜ご飯よりも高い猫缶の重みに、にやにやしながら帰路を急いでいた。

 

 繁華街にほど近い裏道、それは家への近道だった。少し薄暗くて、普段なら夜は通らないのだが、今日は早く家に帰りたい。

 ちょうど月が雲に隠れ、心許ない街灯の明かりだけが頼り。そんな時、ふと目をやったマンションのゴミ捨て場。やたらと大きな影が見えて、あ、見ちゃいけないものだ、そう思った。

 繁華街のよくある光景。酔っ払いが倒れているとか、喧嘩の後とか……しかし、月を隠す雲が切れたとき、月明かりに照らされて浮かびあがるものが、あまりに異色で不釣り合いで……

 

 そこに落ちていたのはゴミ袋に埋もれる美しい男性だった。

 

 前にも一度ゴミに埋もれた酔っ払いがいたのだ。それが、夜この道を通るのはやめよう、そう思ったきっかけだったのだが。

 

 しかし、こんなに綺麗な人がゴミに埋もれているなんてどこかおかしい。

 普段だったら絶対に声を掛けない。それどころか近寄らないのに。でも何故だか無視できなくて、引き寄せられるようにしてそこに近づいた。

 

「すみません。……あの、大丈夫ですか?」

 声を掛けてみたが反応がない。もう一歩近寄って肩を揺らした。

 

「大丈夫ですか?」

「……ん」

 ゆさゆさと揺らすと少しだけ身動ぎをした。

(良かった……生きてる……)

 あまりにも美しく、整っていたため一瞬人形かと思ってしまった。

 

「こんなところで寝ていると危ないですよ。救急車か……警察呼びましょうか?」

「……んん」

 何度目かの呼びかけにゆっくりと瞳を開けた男性はぱちくりと瞬きをした。

 

 深い紅。吸い込まれるような瞳に目を奪われた。

 

「……ここは……?」

「……っ、あ、目が覚めましたか? ここは新宿ですよ。立てますか?」

「……シンジュク……?」

「あ、あれ……? 外国の方ですか?……えっと」

「……あぁ、失礼。大丈夫ですよ、言葉はわかります」

「あっ、よかった」

 私が伸ばした手に、ひんやりとした手が重なって、少しだけ体重をかけながら起き上がった男性は、ルーズに髪を一纏めにして、チェックのベストに蝶ネクタイ。さながらバーテンダーのような格好をしていた。立ち上がると思ったよりも背が高くて、見上げるかたちになる。

 

「っ、大丈夫ですか? お家帰れますか?」

「……ここは一体……」

 なんだか様子がおかしくて不安になる。パッとみたところどこにも怪我はなさそうで、衣服の乱れもない。ゴミ捨て場にいたとは思えないほど綺麗だった。

 男性はゴミ袋の山の上に残っていたベストと同じ赤いチェックのストールを拾い上げるとそれを腕に掛けた。

「………インヴィーベル」

「え? 何かいいましたか?」

「……いえ、申し訳ありません。少し記憶が混濁しておりまして、ここは一体どこなのでしょうか」

「あ、ここは新宿ですよ。東京の」

「シンジュク……トウキョウ……」

「あ、あれ? 本当に大丈夫ですか?」

 言葉もしっかりしており、酔っ払いというわけではなさそうだった。しかし、私の言葉にピンときていないようで、腕を組んだまま動かなくなってしまった。

 

「……ふむ。どうやら私の住む世界とは違うところにいるようですね」

「…………はい?」

「申し遅れました。私は西の国の魔法使いシャイロック。お嬢さん、貴方の名前をお聞きしてもよろしいでしょうか」

「へっ、え? 真木晶……です……えっ、ちょっと待ってください。西? 西ってどういう? 日本の? 世界の? っていうより、ま、魔法使い……?」

「はい、魔法使い。しかしおかしなことにここでは魔法が使えないようなのです。箒も出せません」

「箒……?」

「魔法使いですから箒で空を飛びます」

「……は、はぁ」

 魔法使いと名乗ったシャイロックさん。真っ直ぐにこちらを見つめ、はっきりと口にする。とても嘘をついているようには見えなかった。それでもすぐにそんな話を信じることができるはずもない。

 

「この世界には私の帰る場所はありません。魔法も使えないとなると……」

「……っ、あ、あの私の家すぐそこ……なので、もし良かったら……」

「おや、よろしいのですか?」

「せ、狭い家ですけど、とりあえずもう夜も遅いので一旦うちで落ち着いてもらって……それから考えましょう」

「ありがとうございます」

 

 にこりと微笑んだ顔は天女かと思うほどに美しい。

 

 

 私は今、とんでもないものを拾ってしまった。

「ここが私の家です」

「へえ、立派な建物ですね。貴族のお嬢さんがこんな夜更けに…」

「き、貴族!? そんなまさか。平々凡々な社会人ですよ……この建物の中にある一部屋が私の家なんです」

「……? なるほど」

 

 理解してもらえたのかわからないが、シャイロックさんはそれから黙ってしまった。

 

「シャイロックさん、ちょっと待ってくださいね」

 部屋が人を迎えることができる状態か不安だった。玄関で少し待ってもらうように伝える。

 

「……シャイロック、でいいですよ」

「え……」

 

 有無を言わさない笑顔に、私は頷くしかなかった。

 

「では私のことも、晶……と」

「ええ、晶」

 うっとりするような微笑みに自然と頬が熱くなる。それを振り払うように部屋の片づけをした。

 

***


 

「なぜだか貴方とはどこかでお会いしたことがあるような気がするのです」

「そ、そうですか?」

 

 シャイロックは私のお気に入りのねこちゃんのマグカップでお茶を啜る。

 ゴミ捨て場にいた格好のままなのは良くない気がして、大きめで着ていたスウェットを貸したが、Lサイズだったそれも、彼にしてみれば小さいようでいたたまれない。

 元々着ていた服は洗濯中。先ほど洗濯機を操作する私を興味津々といった目で見ており、住んでる世界が違うと言われても納得してしまいそうである。

 

 そして、シャイロックはどこぞのナンパ男のような言葉を呟き、また考え込んでしまった。

 

「とりあえず……今日はもう遅いので、明日考えましょう」

「……ええ、そうですね」

「すみません、一組布団があればよかったんですけど、このソファでいいですか」

「もちろん、ありがたくお借りします」

「それでは、おやすみなさい」

「はい、おやすみなさい、晶」

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